阪神電鉄バス

阪神電鉄沿線を中心に走る阪神バス



阪神電鉄沿線を中心として路線を伸ばす阪神バスは、 阪神電鉄自動車部が運営し、尼崎市浜田を拠点に路線バス、高速バス、空港連絡バス、 貸切バス営業を行い、路線バスの営業エリアは大阪福島区の野田阪神から神戸三宮の税関前まで、 国道2号線を基幹に、宝塚への南北ルートと、西宮市内の路線などから成り立ち、 運賃は西宮市内などの短距離市内路線では210円均一、 神戸線、宝塚線などの路線では区間制で1区210円(大阪と神戸市内は200円)、 2区目から230円と、およそ4キロ程度の距離で20円ずつアップしていく運賃体系になっているため、 区間によっては平行する鉄道の運賃よりも安い区間がたくさんあります。

阪神電鉄バスの歴史は、昭和3年に阪神電鉄、阪急電鉄と地元有力者などによって設立された 「阪国バス」に始まり、昭和4年に大阪福島−神戸滝道(現在の三宮・国際会館前付近)間において 開業。また、昭和7年には尼崎から宝塚まで建設工事が進められながらも資金難から 鉄道敷設を諦めた宝塚尼崎電鉄を合併し、線路敷を舗装して関西初の有料自動車道を開通させ、 大阪、神戸から宝塚までバスを開業させています。
戦後は、沿線の荒廃のために業績不振だった阪国バスを阪神電鉄が買収し、 阪神電鉄の直営事業としましたが、昭和30年を過ぎてもしばらくは「阪国バス」という名称で 呼ばれていたため、今でも年配の人の中に阪国バスと呼ぶ人をたまに見かけます。

昭和40年代に入ってからは、マイカーの普及と乗客の自転車への移行によって乗客の減少が顕著となり、 他社と同様、路線の統廃合とワンマン化が実施され、現在の効率的な路線網を築いています。
阪神大震災では不通区間が生じていた阪神電車の代替バスとしても活躍し、 阪神電車が全線復旧するまでの約5ヶ月、その役割を果たしました。
平成11年からは、西宮浜地区にノンステップバスを導入し、 また、阪神タイガース塗装のトラッキーバスを走らせるなど、 従来地味であった雰囲気から転換し、話題性づくりにもつとめるようになっています。

一方、空港バスは昭和33年から貸切で空港連絡バスの運行を開始し、 昭和39年からは現在の限定乗合による空港連絡バスを開業。、 航空需要の拡がりとともに空港バスの利用者は伸び続け、 現在では伊丹空港、関西空港へ数路線の空港連絡バスを運行しています。
平成になってから進出した夜間高速バス部門は他社と同様、ここ数年の景気低迷と 航空機などの攻勢もあって、97年度からは熊本線、鹿児島線から阪神電鉄バスのみが撤退し、 京浜急行と共同運行であった神戸・横浜線は休止しています。
その一方で、98年4月には従来から淡路フェリー経由により 阪神バス、徳島バス、南海バスの3社共同で走らせていた大阪〜徳島間の高速バスを 明石海峡大橋経由とすることでスピードアップと大幅増便、運賃値下げが実施され、 開業以来多数の利用があり好調のようです。
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